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昭和の杜

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野砲兵第五十三聯隊
野砲兵第五十三聯隊は第五十三師団の隷下にして秘匿名を安一〇〇二七部隊と云う。昭和十八年十一月十九日動員下令され部隊は三悌団に分かれ、第一大隊は第一悌団として昭和十八年十二月二十八日内地を出発し、昭和十九年三月十日当時の仏印、現ベトナムのサイゴンに上陸後ビルマに進撃する。
第二悌団として聯隊長高見量太郎大佐以下聯隊本部及び第二大隊は昭和十九年三月二十八日宇品港より出発し、四月十六日当時のマレー半島昭南島現シンガポールに上陸後マレー半島を北上しビルマに入り第一大隊と合流、各地に進攻する。
昭和十九年五月ミートキーナの戦、昭和十九年十月ピンウエの戦に於いては賞詞を受け、昭和二十年一月にはシングーの戦に次ぎイラワジ会戦、昭和二十年三月のタウンターの戦においては中隊長大森中尉自身砲と共に散華し感状を受ける。
一方ビルマ東北ラシオより中国雲南には第四中隊が進撃する。
聯隊本部及び第二大隊はシツタン河下流カイウエ付近に於いて、第一大隊はトングの戦闘に参加の後トング、モチ街道付近にて夫々終戦を迎える。
昭和十九年第三聯隊として内地に残った第三大隊は八月二十一日出発し九月二十一日フイリツピン沖にて敵潜水艦の攻撃を受け大多数が水没、極く一部がルソン島に上陸したが各地に分断起用され壊滅的損傷をうけた。
部隊主力は昭和二十二年七月宇品に復員する。
編成時一千五百三十八名が戦没一千一百四十一名、復員三百九十七名となる。

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