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昭和の杜

昭和の杜
従軍記念の碑
パール博士顕彰碑
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昭和の年代は、昭和初期の世界政治経済の大混乱に端を発し、昭和6年(1931)9月18日満州事変、昭和12(1937)7月7日支那事変、昭和14年(1939)5月12日ノモンハン事件を経て、昭和16年(1941)12月8日米、英両大国に対する大東亜戦争へと突入、昭和20年(1945)8月15日の終戦に至るまで民族存亡の命運を賭けた対戦に進展し、地球の2分の1に当たる広大な戦域に400余万にのぼる将兵は、終始連合軍の圧倒的物量攻勢と対決、屍山血河の激戦を展開した。その間わが本土も度重なる空襲に焦土と化し、本土決戦も辞さずの1億国民の徹底抗戦の構えも原子爆弾の投下、ソ連の参戦と大勢の赴くところ、遂に聖断により、ポツダム宣言受託の止むなきに至り、15年に及ぶ大戦の幕は閉じられた。
この戦いは250余万の民族の尊い生命が失われ、思い起こすだに惨烈悲痛の極みである。
生還したとはいえ敗戦の汚名を甘受、筆者に尽くし難い数々の屈辱と苦渋を乗り越え英霊となった戦友の分までもと、国の復興に取り組んで世界に類のない発展をなしとげた、平和な祖国_現状を見るとき、ともすれば歴史のかなたへと薄れゆく、過ぎし日に思いを馳せ、この年代に生を受け、青春を、学業を、職場を、家庭を、全てをなげうって戦った意義は、アジアの植民地解放の大理想を強く信じた宿命的戦いであった。
このことは歴史の証明するところである。この昭和史に残した足跡と、この戦いに参加した事実を、永く後世に伝えんと、生存せる戦友相計り、祖国日本の繁栄と、世界恒久平和の願いをこめて護国の英霊鎮まる京都霊山護國神社の佳境に『昭和の杜』を造園建設し併せて『従軍記念の碑』を建立するものである。

京都霊山護國神社 宮司 木村 幹彦 撰文

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