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船井郡瑞穂町三ノ宮地区遺族会・慰霊祭

10月19日午前10時より船井郡瑞穂町三ノ宮地区遺族会 代表 上山 二郎 以下、縁故深い会員ら多数御参列のもと 慰霊祭が宮司以下、祭員奉仕のもと厳粛に斎行された。 参列者は本殿にて船井郡出身英霊に追悼と感謝を捧げられた。

祭文
今年の残暑は本当に厳しい毎日でございました しかし秋も深まり野山は紅葉が始まり自然界の恵みをいただいております 本日は三ノ宮地区遺族会の主催で地区出身の戦傷病没者の慰霊祭を執り行うに当り遺族会を代表して祭文を謹んで奉げます 先の大戦に於て国を思い、家族を思い戦場へ夫々の任務を背負い、あらゆる犠牲と苦難に甚えて、私達国民の身替りとして身を国家に捧げられて護國の神となられた七十余柱の諸英霊に対し心から哀悼の誠を捧げます 今、この拝殿に向いて、世界大戦と言われた厳しく激しい戦下、そのご苦労御心通を思うとき遺族として断腸の思いでいっぱいでございます 今年は終戦後六十年と言う節目の年であります 六十年ともなれば当時の苦難を憶ゆる人も少なくなり 又肉親を亡して悲痛の思いを体験 された遺族も年々他界され、尚高齢化の進む日々を過しております 私達の町も近隣町と共に戦前戦後に想像もつかない町として田舎らしき姿に発展し三ノ宮地区の中心部は道路も整備され交通量の多くなったこの頃でございます 又地区の中心部には町営住宅の建設が昨年より始まり忠霊塔に見守られる中、静かな明るい里づくりが進んでおります これら地域の発展も諸英霊のご加護の賜と感謝の気持ちでいっぱいでございます しかし町行政に於ては近隣町との合併が進められ我瑞穂町は閉町され十月十一日より京丹波町に変りました 新しい発展のための広域行政として尚一層の発展を願っております 世界の平和は声高に叫ばれておりますが現実は反する状況が多く報道されています 私達は諸英霊の遺族として世界の恒久平和を願い英霊顕彰の道を守り継承しなければならないと信じております 毎年慰霊祭を執り行うのが当然でございますが、その事情をお汲みとり戴き、お許しください 私達も厳しい社会事情の中、夫々の立場で頑張ります 諸英霊の安らかなお眠りを祈願し祭文とさせて戴きます

平成十七年十月十九日
船井郡瑞穂町三ノ宮地区遺族会々長 上山 三郎

キスカ会・慰霊祭

10月20日午後2時よりキスカ会 代表 朝倉 弘文 会員参列のもと 慰霊祭が執り行われ、戦火厳しき北海のキスカ島より奇跡の生還を果たし た会員らは米領アリューシャン列島西端、隣島アッツ島にて玉砕した 旧アッツ島守備隊 山崎 保代 陸軍中将をはじめとする英霊に感謝と 追悼の誠を捧げられた。

祭文
謹みて太平洋戦争中米領アッツ、キスカ及び其の海空域において戦没せられた戦友、 山崎部隊長以下五千二百余柱の御霊に対して限り無き感謝の誠を捧げ一言申し上げます 惟う にあなた方は北方作戦部隊の一員として海に陸に又空に北海の悪天候と戦い乍ら吾が身の危険 をものともせず熾烈極まる砲爆撃をあびながら勇敢にも敵陣に乗り込み敵艦に体当たりし、あ るいは愛する艦と共に海の藻屑と果て護國の神となられたのであります 戦い吾に利あらずし て敗戦となり、早くも六十年余の歳月は流れましたが、あなた方の御遺体の二度に亘る収集に もかかわらずその一部しか発見出来ず、其の大部分は未だ異国の野に晒され冷たい海の底にあ るを思うとき只々申譯なく御詫びの言葉もございません 特に最終作戦の段階において アッツ島守備隊山崎隊長以下、二六三六名の戦友を一度に失ったときの我々の心境は如何ばかりか計り知れないものがありました 戦の庭に立ち、死はもとより覚悟は致しておりましたが今ここに私達が現に生きている自分を見つめたとき、ただ感謝の一語につきると共にこの上はあなた方の尊い犠牲を決して無にしないことを深く肝に銘じ、一同心を新たにして世界人類平和の確立を期し二度と再び戦争をしないことを誓うものであります 敗戦既に六十年余、其の間幾多の苦難を乗り越え耐え忍び奇跡といわれるほどの経済的復興をなしとげ今や世界の日本として国運隆々その独立と安全を堅持し国民ひとしく平和を享受しております これひとえに皆さまの尽忠至誠旺盛な犠牲的精神に支えられたものとして私共は片時も忘れることはありません しかしながら世界の情勢は極めて流動的であり、私たちの願う真の平和は未だほど遠い状況にあります 皆様が身をもって示された愛国の至情を今一度思い起こし年老いたりといえども命の続く限り祖国は勿論世界の平和確立のために最善の努力を続けることを、あなた方の御霊の前で重ねてお誓い申し上げます 何十年経っても瞼の奥に刻まれた昭和十八年七月二十九日の彼の時のことを あゝ霧が降る 霧が湧く 白夜の島に音もなく 霧よキスカを 埋めつくせ 迎えの艦が来る日まで 希くば在天の英霊護國の神の御元に永遠に安らかに鎮まりて祖国悠久の平和と御遺族の御安泰を加護し給わらんことを念願致し護國神社の御前にキスカ会の一同を代表して一言蕉辞を捧げ祭文と致します

平成十七年十月二十日
キスカ会々長 朝倉 弘文


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