本年は坂本龍馬生誕170年であり、故郷、高知県では生誕祭が賑々しく執り行われた。当社では、旧土佐藩招魂社祭並びに坂本龍馬命日祭が、
11月15日夕刻より霊山墳墓内に在る坂本龍馬・中岡慎太郎・藤吉、三柱の墓前にて関係諸団体、一般参拝者参列のもと、盛大に斎行された。
坂本龍馬は、誕生日と刺客の凶刃に斃れた命日が同日(11月15日)という稀なる運命の持主であり、その短い
人生において近代日本の礎を創られたことは誰もが知るところである。
霊山の墓域には、早朝より参拝者が訪れ、夜間拝観終了時の閉門の21時まで、終日、全国より多くの坂本龍馬、
中岡慎太郎を慕う参拝者で賑わいを見せ、墓前へは一面に献花、献酒がすすめられた。
境内では、居合いの奉納演武のほか、劇団・夢援隊カンパニーによる寸劇が行われ、両援会、京都高知県人会有志による恒例の軍鶏鍋の炊き出しが行われた。
この軍鶏鍋とは、風邪気味の坂本龍馬を志し同じくする同郷の中岡慎太郎が見舞った際、刺客の襲撃に遭い、
軍鶏鍋を口にすることなく両志士が凶刃に斃れた所以から、例年、一番汁を宮司、両援会代表、京都高知県人会代表が三柱の鎮まる墓前へとそれぞれすすめ、
参拝者へは無料にて軍鶏鍋が振舞われている。
| 両援会・祭文 |
落葉石階を繋ぎ冷気漂うここ洛東京都霊山護國神社の神域に永遠
に眠らせ給う贈正四位 坂本龍馬 先生、贈正四位 中岡慎太郎
先生の墓前祭にあたり両援会を代表して謹んで申し上げます
幕末二十年余りの動乱のさなかにあって、坂本龍馬先生は卓越し
た先見性と国際性、その行動力によって薩長連合、大政奉還と歴
史に残る偉業を画策、海援隊を組織し、近代日本の指針ともいう
べき藩論、船中八策を残され、中岡慎太郎先生は龍馬の良き相談
相手として、慎太郎なくして龍馬なしといわれるほどの龍馬の理
解者であり、協力者でありました 一身を日本の将来に捧げられ
た両先生も、維新の大業が成りたる慶応三年、旧暦十一月十五日、
京都河原町近江屋において非業の最期をとげられたのであります 両先生を偲ぶ龍馬祭は明治・大正・昭和と絶えることなく京都高知県人会と心ある人達によって続けられてまいりました 最後の会話と伝えられる「腹が減った 峰、軍鶏を買って来ないか」と云う龍馬先生、「俺も腹が減った 一緒に食うから…」と云った慎太郎先生、両先生を偲ぶにはこの軍鶏をのけて他にないと思われます 今年も参列された方々へ軍鶏鍋をふるまい、又墓前に供えて本日御参列の皆様方と共に両先生の遺徳を忍びたいと存じます 私達の微衷を了とせられ、日本国の行く末と縁故深き人達に御加護を垂れ給わらんことを祈念して祭文といたします 安らかにお眠りください
平成十七年十一月十五日
両援会 副会長 吉本 幸男
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