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128ビルマ会の歩み
旧第五十三師団一二八聯隊
聯隊砲中隊 大北 幸平
128ビルマ会は、当初は「128パゴダ会」と称し、昭和28年 頃から桜の季節に京都霊山護國神社にて慰霊祭を挙行してまいりました。 順次ご遺族にも呼び掛け「128ビルマ会」に改称し、平成17年5月 8日、終戦後60年の意義深い慰霊祭を京都霊山護國神社の社頭に おいて執り行うにあたり『戦後60年回想録―鎮魂―』を英霊の御前に 捧げ奉り、代表者が恙無く今日の日を迎えられたご加護に感謝し、これ からも精一杯生き、遥か彼方の異国の地に散華された英霊と物故者の 方々のご冥福をお祈り申し上げました。また、碑前では戦後ビルマ各地 の連合軍キャンプで労役に服す中で、帰国を待ち侘びながら歌った 『シヤン高原の歌』を参拝者全員で合唱し、当時の様々のことを思い 偲びました。本年度慰霊祭の参加者は81名で、その内訳は、戦友34名、ご遺族42名、他部隊の戦友、ご遺族 5名でした。高齢になった戦友に替わってご遺族の方々が128ビルマ会のすべての世話を平成13年から引き継いで下さるようになりました。これは誠に有り難い事で、「高齢になり戦没者の慰霊ができないから戦友会を解散した」という他部隊戦友会の話を聞くにつけ、戦友として、私共に代わって英霊の慰霊を続けて頂けることに深く感謝を致しております。128ビルマ会は、昭和28年ごろから毎年慰霊祭を行ってまいりましたが、昭和50年2月、はじめてビルマ慰霊巡拝を計画し、これが数年続いたこと、また、前後して厚生省のビルマ方面収骨団派遣事業に聯隊代表として2名が(森 清一氏、山岡 弥三次氏)が参加し、かつての戦闘地域から重機関銃銃身を持ち帰り京都霊山護國神社の歩兵128聯隊顕彰碑前に安置したこともあってか「聯隊史」発刊の気運が高まり、話し合いを進めた中で昭和53年12月編纂委員会(委員長 加藤 篤二氏)が発足しました。『私たちのビルマ戦記「安」歩兵第128聯隊回想録』は通常の戦記や聯隊史と異なるいくつかの特色がある、と全国紙に紹介されたため全国から他部隊の方、一般の方々からの購入申込みを頂きました。この回想録は、昭和55年4月12日、東寺での慰霊法要の後、参列者に頒布致しました。聯隊史発行から25年たった今年は、戦後60年になり、これを期にご遺族が企画、運営し再発足した128ビルマ会が、回想録『鎮魂』を発行されました。序文で、かつて『私たちのビルマ戦記』刊行の編纂委員長を務められた加藤 篤二氏は、戦友とご遺族がいろいろの演題のもとに、過去の痛ましい戦記や回想を綴って、これを正しく後々まで伝えることは是非とも必要なことであろう、と述べられています。本誌にはご遺族の方々の切々たる思いや、昭和50年から始まったビルマ慰霊巡拝の慰霊状況などの報告、また、聯隊史には書けなかった戦友同士の話、戦の中での話せなかった思い、55年の聯隊史で掲載された投稿文から、野戦病院でお世話になった旧従軍看護婦さんに再会できたこと、等々の当時を偲ばせる出来事などが記述されております。


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