年号 | 事項 |
1838年 (天保九年) | 4月、父中岡小伝次(北川郷大庄屋)、母うしの長男として土佐国安芸郡北川郷柏木村に生まれる。 |
1857年 (安政四年) | 北川郷大庄屋見習いとして、北川郷の政務をおこなう。 |
1861年 (文久元年) | 8月、土佐勤王党結成。慎太郎も加わる。 |
1863年 (文久三年) | 9月5日 土佐を脱藩 |
1864年 (元治元年) | 12月4日 筑前藩士早川勇の従者「寺石貫夫」と名乗り、小倉にいる西郷隆盛と面談→薩長連合成立への第一歩となる。 |
1866年 (慶応二年) | 1月22日 薩長連合(京都の薩摩藩邸にて。坂本龍馬が立ち会う)。 10月26日 土佐の同志に宛て第二回目の「時勢論」(「窃に知己に示すの論」)を執筆→大政奉還論を説く 11月、土佐の同志に宛て第三回目の「時勢論」(「愚論窃に知己の人に示す」)を執筆→軍制改革案など |
1867年 (慶応三年) | 5月21日 薩土討幕の密約の会談(西郷・小松・慎太郎・乾退助)。
6月22日 京都薩摩藩邸で、薩土盟約を結ぶ(慎太郎と龍馬が立ち会う)。
この年の夏、第四回目の「時勢論」執筆(武力討幕を説き同士たちの決起を促す)。
6月27日 陸援隊の結成(白川の土佐藩邸を本陣とする)
9月22日 土佐にいる大石弥太郎に軍制改革を説いた「兵談」を書き送る。
11月15日 京都近江屋にて坂本龍馬とともに襲われ、重傷を負う。
11月17日 死去。
11月18日 京都東山の霊山墓地に埋葬される。
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