年号 | 事項 |
1835年 (天保六年) | 土佐の国高知に、町人郷士坂本八平の次男として生まれる。 |
1853年 (嘉永六年) | 江戸に行き、北辰一刀流の千葉道場に入門する。 |
1858年 (安政五年) | 北辰一刀流の免許を受ける。土佐に帰国する。 |
1861年 (文久一年) | 武市半平太のつくった土佐勤王党に加わる。 |
1862年 (文久二年) | 土佐を脱藩し長州へ向かう。 九州や京によって江戸へ行き、千葉道場に滞在する。
このころ、勝海舟の弟子となる。 |
1863年 (文久三年) | 脱藩の罪を許される。神戸海軍操練所の塾頭になる。
帰国の命令に従わず、再び脱藩する。 |
1864年 (元治一年) | 楢崎お龍と知り合う。 薩摩藩の西郷隆盛と知り合う。 海軍操練所が閉ざされる。 |
1865年 (慶応一年) | 西郷隆盛と共に鹿児島へ行く。 長州に行き、桂小五郎に薩長の和解を説く。
長崎に亀山社中をつくる。 |
1866年 (慶応二年) | 龍馬の仲立ちで、京で薩長同盟が成立する。 伏見の寺田屋で幕府の役人に襲われる。 ユニオン号を率いて、幕長戦争に参加する。 |
1867年 (慶応三年) | 脱藩の罪を許され海援隊の隊長となる。 後藤象二郎と共に京に向かう船中で、大政奉還の「船中八策」を考える。
岩倉具視に会う。
大政奉還後、「新官制案」や「新政府綱領八策」をつくる。
11月15日 夕方、近江屋に中岡慎太郎が来訪し、岡本健三郎・菊屋峰吉も来る。午後9時ごろ、岡本・峰吉は所用のため外出する。その直後刺客に襲われて闘死する(享年33歳) 。中岡・下僕藤吉は重傷であった。近江屋新助は土佐藩邸に、峰吉は陸援隊に急を知らせる。
11月16日 藤吉絶命する(享年19歳)。大坂に凶報達し、在坂の隊士は京都に急行した。
11月17日 中岡絶命する(享年30歳)。
11月18日 東山霊山に三人の遺骸を埋葬する。
11月26日 永井尚志、新撰組局長近藤勇から事情聴取し、近藤は犯行を否定した。
11月27日 藩船空蝉長崎に入港して、事件を報知する。
12月2日 長崎から下関に悲報が伝わり、お龍は三吉慎蔵から聞く。
12月7日 海援隊士・陸援隊士ら、紀州藩士三浦休太郎を仇と誤認し、宿舎天満屋に斬込み、新撰組と激闘した。
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