| 祭文 |
大東亜戦争に敗れて以来早くも六十二年が経過いたしました 私はそのときインドネシアのボルネオ島で、
オランダ、米国、英国と戦っておりましたが、敗戦の詔勅をいただき、これ等の国の捕虜となって、
バリワクパパンの丘の上のテントに収容されました 一年間の苦しい捕虜の生活は、戦犯の容疑の下で、
重労働で送る毎日でありました バリワクパパンのきびしい戦闘では、四千名に及ぶ日本兵は、戦死し、
残った兵も戦犯の容疑の下に引っぱられて、次々に銃殺される運命をにないました スマトラに於ては、
戦争が終ってから多くの日本兵は祖国日本に帰らずに、インドネシア軍に投じて、インドネシア独立のために戦い、
多くの兵が戦死していったのでありました 京都霊山護國神社に於かれましては、これ等の英霊を奉慰顕彰賜わりまして、
本日は秋季例大祭を斎行して、慰霊いただいております ここに戦争のときを回顧し、諸英霊に心からの感謝の誠を捧げるものであります
平成十九年十月十四日 昭和の杜友の会 会長 林田 悠紀夫
| 霊山表忠碑 碑前祭 |
献吟『維新の道』 野村信三作 |
吟士 神心流尚道館 | 高木 コウ風 | 先生 |
吟士 神心流尚道館 | 小鐡 司風 | 先生 |
吟士 神心流尚道館 | 堀 柴風 | 先生 |
※コウ風先生の「コウ」は、正しくはさんずいに「景」と「頁」と書きます
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