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今を生きる

一〇九U会 昭和の杜友の会理事 山下義男
 “実に歳月は人を待たず”大正も遠くなった。ところで連日放映されている TVニュースのアフガンの映像が六十年前の情景とオーバーラップしてならない。勿論戦闘そのものはハイテクを駆使しての近代戦争と比較すればその様相は大きく違う。
 往時茫茫、湖南の原野を三十数キロの装具を身につけ炎天下、日に数十キロの強行軍「戦争とは歩くことだ」と肝に銘じた。 特に二十年に入ると派遣軍の命運を賭けた湘西作戦、我々(嵐歩一○九聯隊)は軍の中核部隊、米式装備十数万の敵との交戦、敵の制空権下で補給は絶たれ(塩の有難さを実感)終日空地からの銃爆撃、悪戦苦闘過酷な陸戦は言語に絶する。(八百余名の尊い命を失う。今だ遺骨は帰らず)生き残った戦友も齢すでに八十路の老いの坂、終焉の足音が近づいている。 終戦、戦後、バブルの崩壊と世情は急転して紛争は続き、今だ混迷から脱し切れていない。
 「日本人の心」が侵され、奪われている(今年も防衛大学卒業生の中、十数名の者が任官を拒否している)今日の現実を見るにつけ終戦時、出された中支派遣軍の「帰還将兵に告ぐ」…英霊を冒涜するような国内の醜状、国民の無自覚あらば敢然として起ち……の一文が思い出され忸怩たる思いがする。
先の大戦は日本が一度はくぐり抜けねばならなかった近代国家への夜明けの歩みであり、好むと好まざるとに関わらず連帯して戦わざるを得なかったと思う。私等は 毎年靖国神社と京都霊山護国神社において三,三九四柱英霊の御冥福をお祈りいたしております。


やました よしお  大正9年4月1日 栃木県生れ  
軍隊歴昭和17年1月10日臨時召集
中部第37部隊(伏見)第3機関銃中隊入営
同年4月10日1期検閲終了
同年11月10日 渡支 上海上陸
同年11月23日安慶上陸 中支派遣
嵐6213部隊 聯隊機関銃中隊に(大公館)編入
昭和18年3月20日兵科甲種幹部候補生を命じられる
同年5月10日保定幹部候補生隊に分遣
同年12月24日同校卒業 見習士官を命じられ中支派遣
嵐第6219部隊に編入
第二機関銃隊(河原田隊)に赴任 以後甲装備作戦部隊の一翼を担い 第一線小隊長として湘桂作戦・江作戦に参加(昭和20年4月28日受傷)
昭和21年1月24日病院船にて博多港上陸 陸軍病院に収容
同年8月京都(伏見)陸軍病院を退院 復員す
(予備役陸軍中尉 傷痍軍人 第五項症)

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