| 祭 文 |
新しい日本をつくるために幕末を駆け抜けた土佐の英傑、坂本龍馬・中岡慎太郎の百四十年祭が、
多くの皆様のご列席によりしめやかに執り行なわれますことに両雄のふるさと高知を代表いたしまして感謝の意を表します
両雄が慶応三年にこの京都の地で凶刀に倒れ百四十年の月日が過ぎておりますが、その墓前には二人を愛し、
慕う多くのファンが全国から訪れ、手を合わす姿が絶えません
幕末に自由で平和な世界を目指し奔走した龍馬・慎太郎の志とその偉業は、殺伐とした現代社会において私たち日本人の魂に触れるものがあり、
多くのファンに偲ばれているのだと感激いたしております
そうした両雄をいつまでも忘れることなく高知の子どもや全国の子どもたちに広く伝え、未来の龍馬、慎太郎を育てていくことが、
私たちの暮らすまちをさらに魅力豊かなまちにすることができるのではないかと思っております
また両雄のゆかりの地、京都と高知はもとより長崎や鹿児島など多くのゆかりの地とさらなる交流を深めてまいり、
未来の龍馬・慎太郎を生み出す土壌づくりにも取り組むことができればと考えます
このたびの両雄の墓前祭に際しましてご尽力いただきました皆様、
また本日墓前祭にお集まりくださいました多くの皆様にお礼を申し上げまして、ご挨拶に代えさせていただきます
平成十八年十一月十五日
高知市 市長 岡崎 誠也
| 祭 文 |
落葉石階を繋ぎ冷気漂うここ洛東京都霊山護國神社の神域
に永遠に眠らせ給う贈正四位・坂本龍馬先生 贈正四位
中岡慎太郎先生の墓前祭にあたり両援会を代表して謹んで
申し上げます 幕末二十年余りの動乱のさなかにあって、
坂本龍馬先生は卓越した先見性と国際性、その行動力に
よって薩長連合・大政奉還と歴史に残る偉業を画策、
海援隊を組織し、近代日本の指針とも言うべき藩論
船中八策を残され 中岡慎太郎先生は常に龍馬の良き
相談役として、慎太郎なくして龍馬なしと言われるほどの
龍馬の理解者であり、協力者でありました 一身を日本の
将来に捧げられた両先生も維新の大業が成りたる慶応三年
旧暦十一月十五日京都河原町近江屋において非業の最後を遂げられたのであります
両先生を偲ぶ龍馬祭は、明治、大正、昭和、平成と絶えることなく京都高知県人会と心ある人達によって続けられてまいりました
最後の会話と伝えられる「腹が減った 峰、シャモを買って来ないか」という龍馬先生「俺も腹が減った
一緒に食うから・・・」と云った慎太郎両先生を偲ぶにはこの軍鶏をのけて他にないと思われます
今年も参列された方々へ軍鶏鍋をふるまい、又墓前に供えて本日御参列の皆様方と共に両先生の遺徳を偲びたいと存じます
私達の微衷を了とせられ日本国の行く末と縁故深き人達に御加護を垂れ給わらんことを祈念して祭文といたします
安らかにお眠りください
平成十八年十一月十五日
両援会 副会長 吉本 幸男
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