| 龍馬祭 |
11月15日午後3時より、摂社・旧土佐藩招魂社にて招魂社祭が斎行された。旧土佐藩招魂社祭終了後、ここ霊山の
佳域に眠る坂本龍馬・中岡慎太郎・下僕、藤吉墓前にて墓前祭が宮司 木村 隆比古奉仕のもと厳粛に斎行された。
両志士殉難138年を迎える龍馬祭は、平日の悪天候にも関わらず、明治維新への関心から年毎に墓前への参拝者が増えており、本年は遠路より岡崎 誠也高知市長のご参拝を頂戴し、祭典の主催である両援会 会長 川本 隆雄、京都高知県人会 杉本 泰男を始め、関係諸団体、多くの一般参拝者で墓前は終日賑わいをみせた。
また境内では催しが行われ、立誠居合同好会による居合いの神前奉納、夢援隊カンパニー(劇団)の寸劇のほか、恒例の軍鶏鍋が正午より京都高知県人会有志によって盛大に振舞われた。この軍鶏鍋とは、下僕・峰吉に軍鶏肉を買いに走らせている間に両志士が凶刃に斃れ、口にすることが出来なかった所以から、中岡慎太郎の郷里、高知県安芸郡北川村から 軍鶏肉のご協賛を頂き、炊き出された一番汁を両志士墓前へとおすすめし、参拝者にも同様にお召し上がり頂くように なったものである。また、NTT西日本のはからいにより、境内と高知市の「龍馬まつり」会場とインターネットテレビによる中継がなされ、
龍馬・慎太郎の故郷高知県と彼らの眠るここ霊山がひとつに結ばれた。
| 祭文 |
落葉石階を繋ぎ冷気漂うここ洛東京都霊山護國神社の□域に永遠に眠らせ
給う贈正四位坂本龍馬先生贈正四位中岡慎太郎先生の墓前祭に当り両縁会
を代表して謹んで申し上げます 幕末二十年余りの動乱のさなかにあって
坂本龍馬先生は卓越した先見性と国際性その行動力によって薩長連合
大政奉還と歴史に残る偉業を画策し海援隊を組織し近代日本の指針とも言う
べき藩論船中八策を残され中岡慎太郎先生は常に龍馬の良き相談役として
慎太郎なくして龍馬なしと言われるほどの龍馬の理解者であり協力者であり
ました 一身を日本の将来に捧げられた両先生も維新の大業が成りたる慶応
三年旧暦十一月十五日京都河原町近江屋において非業の最後を遂げられたの
であります 両先生を偲ぶ龍馬祭は明治、大正、昭和と絶えることなく京都高知
県人会と心ある人達によって続けられてまいりました 最後の会話と伝えられる「腹が減った。峰シャモを買って来ないか」という龍馬先生「俺も腹が減った一緒に食うから・・・」と云った慎太郎両先生を偲ぶにはこのシャモをのけて他にないと思われます 今年も参列された方々へシャモ鍋をふるまい又墓前に供えて本日ご参列の皆様方と共に遺徳を偲びたいと存じます 私達の微衷を了とせられ日本国の行く末と縁故深き人達に御加護を垂れ給わらんことを祈念して祭の言葉といたします 安らかにお眠りください
平成十六年十一月十五日 両縁会会長 川本 隆雄
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高知市長 岡田 誠也 | 高知県北川村村長 大寺 正芳 |
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居合い神前奉納を見学する子供たち |
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