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11月15日午後3時半より、旧土佐藩 招魂社にて両援会会長 川本 隆雄、京都高知県人会 杉本 泰男 を初め、関係 各位参列のもと招魂社祭が斎行された。 引続き、霊山墳墓にお鎮まりの坂本 龍馬・中岡慎太郎の墓前にて、宮司 木村 幹彦 以下祭員奉仕のもと命日祭が 斎行された。 当日は立誠居合同好会による居合の 神前奉納、劇団「夢援隊カンパニー」による寸劇、高知県 北川村 「中岡慎太郎館」 学芸員 豊田 満広 による講演会が境内 各所にて開催された。また、中岡慎太郎の 郷里 北川村より軍鶏肉の寄進を受け、高知県人会有志の奉仕により 軍鶏汁が炊出された。一番汁は郷里の味、軍鶏汁を口に することなく、慶応3年11月15日夜半、凶刃に倒れた両志士を偲び墓前へとすすめられた後、 一般の参拝者へも振舞われた。 当日は夜間拝観開催に伴い、開門の午前7時から午後9時閉門まで 2千人を越す 参拝者が墓参に訪れ、例年にない賑わいを見せた。
落葉石階を繋ぎ冷気漂うここ洛東 京都霊山護国神社の神域に永遠に眠らせ給う贈正四位 坂本 龍馬先生、贈正四位 中岡慎太郎 先生の墓前祭に当り、両援会を代表して謹んで申し上げます。 幕末二十年余りの動乱のさなかにあって、坂本 龍馬先生は卓越した先見性と国際性、その行動力に よって薩長連合・大政奉還と歴史に残る偉業を画策し、海援隊を組織し、近代日本の指針ともいう べき藩論・船中八策を残され、中岡慎太郎 先生は龍馬の良き相談相手として、慎太郎なくして龍馬 なしといわれるほど龍馬の理解者であり、協力者でありました。 一身を日本の将来に捧げられた両先生も、維新の大業が成りたる慶応三年 旧暦十一月十五日、京都 河原町近江屋において非業の最期をとげられたのであります。両先生を偲ぶ龍馬祭は明治・大正・ 昭和と絶えることなく京都高知県人会と心ある多勢の人達によって続けられてまいりました。 最後の会話と伝えられる「腹が減った。峰、シャモを買って来ないか」と云う龍馬先生、「俺も腹が 減った。一緒に食うから…」と云った 慎太郎先生、両先生を偲ぶ にはこのシャモをのけて他にないと、土佐 北川村よりシャモの 寄付を受け、京都高知県人会有志の協力を経て龍馬の海援隊、 慎太郎の陸援隊の縁故を奉賛する両援会の有志恒例の行事として シャモ鍋を墓前に供え、参列された方々にも振舞い、共に両先生 の遺徳を偲びたいと存じます。 私達の微衷を了とせられ、日本国の行く末と縁故深き人達に 御加護を垂れ給わらんことを祈念して奉賛の言葉といたします。
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