| 日本の現状を憂う |
京都霊山護國神社 宮司 木村 幹彦
今日のわが国の混迷は憲法に帰するところが大であります。その内容は「自律なき自由」「責任なき民主」「努力なき平等」「自衛なき平和」「倫理なき法治」と、この五つの権利が謳われた世界に類をみない理想憲法にあります。この蜜のように甘い内容で国民を堕落させ、結果、今日のような混乱世相を生み出しました。昔を懐かしむ訳ではありませんが、己を律し、国家と家庭に責任をもち、何の見返りも求めず、青春を、学業を、家庭を、職場を自らの全てを賭けて、乏しい物資のなか、ひたすらに血と汗を流し戦われた英霊。涙と汗で銃後を守り戦後の復興に取組んだ半世紀。現在の余りにも変わり果てた退廃的な国家に英霊は何とご照覧されているのでしょうか。
戦中戦後を体験した者のひとりとして、この変わり様を憂うものであります。また、それのみならず靖国神社が政争の具に外交の駆引きにと利用される有様は、靖国神社に神として祀られることを誉と信じて散華された英霊に対し誠に申し訳なく、生ある者の努めとして、一日も早く国家と国民が何のわだかまりもなく靖国神社へ静かに感謝の祈りができるよう、その実現に努力しなければなりません。
先ずは、その解決法として、直接的には憲法全体を通じて遵守と運用についての義務化を明確にする必要があり、加えて、明治開国以来の歴史を再検証することによる、自国の正しい歴史認識をもって教育に、政治にあたらねば問題解決への糸口は見つからないでしょう。社会、戸々の家庭においては聖徳太子の教え「神の摂理と仏の道理」を生活の基盤に醸成された日本古来の文化への回帰が必要に感じられます。明治維新の廃仏棄釈(神仏分離)は1200年の長きに亘って培われた生活文化の弱体化、崩壊へと繋がり、自然の恵み、先祖の恩への感謝の心を喪失した、唯物的な現代の日本人を創り上げてしまいました。
靖国神社の問題のひとつにA級戦犯合祀の問題があります。我々日本人の心の中に戦犯など存在致しませんが、サンフランシスコ講和条約以降の政府の認識について再検討し、外交的な配慮をも踏まえ対処していかねば解決へとはならないでしょう。さらに首相の参拝については、A級戦犯合祀以前は問題視されていなかったことからすれば、分祀することで外交面での解決には繋がるでしょうが国難の時代を生きた多くの国民の理解は 得られません。首相の参拝には慎重な政府の対応が求められます。ただ、現代のIT化に象徴される時代の国際化が急速に進むなか、わが国の将来を考える時一国主義は通用する由はなく、国際的連携のなかで、わが国の歴史と伝統に基づいた国民全体が誇れる国家を、世界の恒久平和に応分の寄与ができる国家を目指すべきであり、愛国心溢れる国民を育成することが、我々に課せられた英霊に報いる責務ではないでしょうか。
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