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関西白鴎遺族会慰霊祭並び顕彰碑除幕式 (5月27日11時斎行)
 旧制大学、高等・専門学校を卒業、海軍飛行予備学生、予備生徒を志願した者の総数は15,149名、 内2,485名が雲ながるる果てに散華された。神風特別攻撃隊士官搭乗員の85%実に658名が、 これら学徒出身の海軍飛行予備士官でありました。
 昭和21年11月、米軍MPに囲まれて第1回の慰霊祭が敢行されました。その集りがやがて飛行予備学生、 生徒各期を統合した「白鴎遺族会」となり、26年に全国組織の社団法人として認可されました。
 爾来50年に亘り、春秋2回催された靖国神社での慰霊祭は100回を越し、関西では京都、大阪、神戸、 奈良の4支部が夫々地域会員の便宜上輪番で50回もの慰霊祭を続けて参りました。会員の高齢化で輪番が困難になり、 一箇所に集約しての催行を決定。場所を京都霊山護国神社、時を例年5月27日に特定することを決めました。
 その機会に懸案であった顕彰碑建立案が浮上、世話人会で審議を重ねた結果、護国神社境内「昭和の杜」内が 最も相応しいとの意見で纏まりました。その意向を踏まえて社内をくまなく調査、現在地を最適と判断し申請した所、幸い認可されました。
 昨年の慰霊祭当日、その場所が候補地であると案内したご遺族に説明したところ、「ラフスケッチを画いて見ましょうか」と ご遺族からの申し入れがあり、木村宮司のご提案もあって現状の美術陶板の特性を生かした碑の完成を目指すことになりました。
 当初は関西独自の計画でしたが、由緒ある護国神社の由来を尊重し、全白鴎の顕彰碑とすべきとの提案を行ったところ、 全面支援が約束される方向が固まり、組織を挙げての事業として実施されることになりました。
 当日は天候にも恵まれ、全国から400余名が参列。時の人、小泉純一郎自由民主党総裁からの祝電もあり、 盛会裡に慰霊、除幕の儀を無事終えることが出来ました。
関西白鴎遺族会会長  松 葉 幸 夫


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