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従軍回顧
(緬友会改メ)工兵53会   白澤 立身

昭和17年11月3日
勲六等瑞宝章を敍勲
昭和18年12月、京都53師団(通称名安兵団)は動員下令に伴い南方總軍に隷属し、先遣支隊(長歩兵128連隊長岡田大佐)を南方に急派する事になり、工兵53連隊は第3中隊がその指揮に入り連隊主力(田中連隊長以下914名)に魁けて12月25日京都を出発した。当時私は3中隊の第1小隊長を拝命し中隊長奥村大尉以下255名と共に、海路危機を脱しつつ昭和20年3月10日「サイゴン」に上陸、支隊は「ビルマ」に急進を命ぜられ、夜間緊急輸送により5月1日「インドウ」に到着、「モール」及び「ホピン」の空挺降下した敵要塞陣地に向った。
「マレー」に駐留中の安兵団司令部の一部と田中工兵連隊長が前線に到着、支隊はその指揮に入り、5月12日「モール」陣地を攻略、5月22日「ホピン」陣地攻略の配備につき総攻撃の火蓋を切った。攻撃前進中、工兵中隊長奥村大尉壯烈なる戦死を遂げ、先任小隊長白沢中尉が中隊長となり、3ケ小隊を岡田歩兵連隊に配属し奮斗したが要塞陣地は頑強にて、友軍の損害続出し攻撃は一時頓挫した。
岡田歩兵連隊長は5月24日軍旗を奉じ最後の夜間総攻撃命令を発し、各隊は奮起し25日未明遂に敵陣を占領し、大戦果を擧げた。歩兵128連隊始め配属の各部隊共損害は甚大で、吾が工兵3中隊も255名中180名程に兵力が減少した。爾後3中隊は連隊長直接指揮の下、安師団の「ビルマ」全作戦に参加し、勇戦奮斗し赫々たる武勲を樹立した。

(1)「ミットキーナ」水上兵団救出作戦(昭和19年5月27日→7月3日)
中隊は「モガウン」河の決死の渡河作業を敢行し偉勲を樹立した。
(2)「断」作戦=「ピンウエ」会戦(昭和19年7月4日→12月31日)
中隊は「カーサ」より「シングー」迄「イラワヂ」河を「ドラム」缶筏にて下航し、師団の兵器、「トラック」 傷病兵の水路輸送を完遂した。
(3)「盤」作戦=「イラワヂ」会戦(昭和20年1月1日→3月23日)
中隊は「イラワヂ」河中洲防衛中隊となり、入江小隊は対岸に潜入し切込みを敢行、敵將校斥候を捕捉する 大戦果を擧げ、連隊長賞詞及び師団長賞詞を授与された。
(4)「克」作戦(昭和20年3月24日→7月4日)
「イラワヂ」会戦は各所で敵機甲部隊に突破され、友軍は総崩れとなり方面軍は転進を開始した。工兵連隊は 「祭」兵団の指揮下、「マンダレー」を死守すること3週間、その間中隊は敵戦車肉迫攻撃を敢行した。「祭」 兵団は「マンダレー」を放棄し、「ミンゲ」にて敵中を突破し南岸に脱出した。中隊は竹筏により師団の渡河 作業を担当。爾後「シャン」高原の「ジャングル」を伐開しつつ南下転進し5月上旬「カロー」に進出、6月 上旬「ケマピュー」を経て7月4日「シッタン」平野に進出5ヶ月振りに「安」兵団主力に追及した。
(5)「邁」作戦=「シッタン」会戦(昭和20年7月5日→8月15日終戦)
工兵連隊は第28軍2万5千有余名の「シッタン」河救出渡河作業の師団命令を受け、吾が3中隊が「シュエ ジン」河の決死の渡河作業を7月末開始し、約1万余名を渡河した頃8月15日終戦の大詔を拝した。作業は 続行し8月31日一人残らず南岸の安全地帯に救出渡河を完了した。想えば昭和19年6月北緬「ミットキーナ」 より終戦時、南緬の「シッタン」河迄実に1年2ヶ月、4千有余kmに及ぶ大転進作戦であった。航空機、戦車、 重火砲等物量を誇る強力なる敵に対し、友軍は乏しき食料、弾薬にて夜間、各地で激戦を交へつつ、雨期は 悪疫に犯かされ損害続出し、白骨街道を転進して来た。
(6)虜囚生活と復員(昭和20年10月→22年7月24日)
昭和20年9月武装解除、10月3日連隊長田中大佐以下180余名が「パヤジー」収容所に入った。中隊は追及者 も含め45名が入所し、忍從と屈辱の虜囚生活1年10ヶ月、昭和22年7月24日無事祖国日本へ帰還した。
復員後は祖国復興のため良く働いた。昭和26年に戦友会(緬友会)を結成し、昭和47年8月に京都護国神社の 境内に慰霊顕彰碑を建立し慰霊祭を斎行した。連隊の戦死者620余名、内3中隊は173名の戦死者を合祀し、 慰霊顕彰会(平成11年昭和の杜友の会に合流)に加入し年4回の慰霊式典に会員多数が参拝し現在に至っている。 戦後57年、大東亜戦争も忘れ去られようとしている昨今、祖国日本の繁榮と皇軍の必勝を期し散華された 数多くの英霊に対し私共は生ある限り慰霊の誠を尽さねばならないと決意いたしております。
白澤氏の軍歴
昭和14年12月 伏見工兵16連隊に現役入隊
昭和15年1月 中支派遣南京に駐留中の「祭」工兵15連隊に転属、支那事変完南作戦に從軍
昭和15年11月 甲幹に合格、内地工兵学校幹候隊に入隊   
昭和16年7月 同校卒業し工兵16連隊に転属、第3中隊付見習士官
昭和16年11月 工兵16連隊は動員により南方に転出し、その後に工兵53連隊編成され陸軍少尉に任官、第3中隊付教育訓練に専念
昭和17年11月 勲六等瑞宝章敍勲   
昭和18年9月1日 陸軍中尉任官、第3中隊長代理拝命
昭和18年 動員下令により「ビルマ」に出征、前記各戦斗に参加
昭和19年8月 第3中隊長正式命課を受く 
昭和20年3月 陸軍大尉任官、8月15日終戦、虜囚生活を経て
昭和22年7月24日 復員

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