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「突入特別攻撃隊員の心情を想う」
近畿特操会  片山 啓二

昭和18年、南太平洋方面での制空権確保のため陸軍航空の拡充が急務となり、素質的に心身共に充実した大学、高専生を、勅令により動員したのが特別操縦見習士官である。
その採用数は約7500名で、各地の陸軍飛行学校に入校して猛訓練を受けたが、最終課程を修了した頃から第一線に投入され、多くの者が「航空特別攻撃隊」に編入された。
私も20年4月、明野陸軍飛行師団で沖縄戦航空特別攻撃隊「第65振武隊」(戦闘機12機編成)に指名され、発進基地の鹿児島県知覧まで前進したが、エンジン不調により出撃を差し止められ、代機受領のため福岡に引き返した。しかし、戦局の悪化により代機が得られず、明野に戻り待機特別攻撃隊員として訓練中に終戦を迎えて生き残った。知覧に残った隊長達は同年5月11日に出撃し、沖縄の米艦船に突入して散華した。
知覧を飛び立ち、九州南端の開聞岳を左手に見ながら本土に別れを告げるころ、隊長達の心情は何であったろうか。私はこの世で最もきびしい孤独感ではなかったかと思う。
このような戦法以外に戦う場はないのか、と最後まで悩みながらも、押し寄せる米軍に対して、肉親や愛する人と祖国の山河を守るためにやらねばならぬと覚悟を決め、戦友達の後に続くのを信じたからこそ突入出来たのであろう。
突入の最後の瞬間には、父や母の名を叫びつつ、懸命に操縦桿を押さえ続け、青春をぶつけて行ったであろうと思われてならない。
私は、桂正隊長(陸士57期)の遺詠
「来る年もまた来る年も とこしへに 咲けと祈りて 我も咲くらむ」
を生涯の心の重荷としながら、慰霊と顕彰に努める日々を過ごしている。

片山 啓二(特操第二期生)
大正12年11月22日 台湾生まれ
昭和18年3月19日 客船「高千穂丸」が米潜水艦の攻撃をうけ母を失う
昭和18年12月1日 東京農業大学専門部2回生 学徒出陣
三重県久居 歩兵33聯隊に入隊 一等兵の時、特別操縦見習士官試験に合格
昭和19年2月 熊谷陸軍飛行学校へ入校
昭和20年4月 三重県明野飛行師団へ転属 特別攻撃隊となり桂正隊長と出逢う
昭和20年5月7日 第65振武隊の隊員として九七式戦闘機にて鹿児島県知覧航空基地へ到着
昭和20年5月8日 機体点検整備にて出撃差止めとなる 代機受領のため福岡第6航空軍司令部へ
出張するも代機なく、三重県明野にて終戦を迎える
現在、近畿特操会事務局長・昭和の杜友の会評議員として慰霊顕彰を胸に活動している

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