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従軍回顧
支那派遣軍最后の幻の大作戦〜蕋江作戦
109U会 久 貝 好 男

大東亜戦争末期、太平洋戦域では戦況我に利あらず、敵は日本本土に接近しつつあった。大陸には、なお百万の連戦連勝の支那派遣軍が健在であり、この戦局を挽回し東面して本土防衛に貢献する為の最后の西面作戦であり、本土空襲基地の老河口、蕋江の両飛行場の攻略作戦であった。重慶軍に圧力をかけ敵の總反抗を未然に防止し、支那派遣軍の整々たる戦線再編を可能ならしめたものであり、その意義は極めて大であった。
3月27日、華北の老河口飛行場は十二軍により占領されていた。二十軍が行った最后の大作戦、重慶方向をめざし、蕋江飛行場攻略を目的に4月13日行動開始、最后の牙城蕋江を死守する米支軍二十三ヶ師二十万人との激突であった。二十軍の突出師団、特に突出聯隊の一〇九聯隊の損害は最も大であった。数十倍の米支軍が待ち受ける比高千米以上の大雪峰山脈への突進又突進、凄絶極りなき地獄の戦場、突進は出来ても后方補給なし弾薬食糧は携行分のみ、四囲を埋め尽くす近代装備の米支共同軍に前進を阻止される。夜明けから日没まで雨天でも視界の利く限り片時も離れず、空一杯に群がり舞う米軍機、爆弾、銃撃、ガソリン入りドラム缶攻撃、鬼哭啾々、火炎地獄、凄惨な間断なき迫撃砲の集中、天地もひっくり返る猛攻、手榴弾の集中攻撃、トンプソン機関短銃を乱射しての突入攻撃、阻止も限界、白兵戦力も極度に低下する。坊禦の態勢に入るも、このままでは自滅を待つのみ。

遂に転進命令出る。反転作戦、敵中突破、四囲の山を埋め尽くす敵、中国軍の猛攻、拠点確保、防戦しながらの敵中突破、残酷悽惨そのもの、阿鼻叫喚の中の転進、野戦病院の解散、各隊患者引取る、患者や馬が谷に転落しても救出し得ず、遂に担送患者はなくなる。自ら当面の敵に大痛撃を与え血路を開くのみ。退路を遮断する敵の大軍、敵を殺さねば殺されるだけ、奇跡的な突破成功、聯隊の戦死者七百五十名、生き残ったものもほとんど負傷、特に中・小隊長のほとんどが戦死又は負傷、一ヶ中隊わずか数名になった所もある。
敵戦力可能行動に対する判断の甘さ、想像を絶する豊富な火力、密接な空地協力、米式化の進捗、援護部隊の集中、速度の迅速、ビルマより米式装備二ヶ師の転用等、重慶戦力は飛躍的に向上していた。わが方の兵力不足、準備の不備、未だ知らない峻険な山岳地帯での行動、師団の戦死二千六百名の多きに達した。
この蕋江進攻作戦が支那派遣軍最后の進攻作戦であった。老河口でも飛行場は占領出来たが、その側面援護の為、陣地死守の攻防が7月まで続き、その損害戦死三千名の多きに達した。

*蕋・・・正しくは草冠に止ですが、 表示不可のため当て字を 使わせて頂きました。

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