慶応3年11月15日 京都河原町 近江屋にて刺客の凶刃に斃れた海援隊々長・坂本龍馬、同日、遭難し翌16日に亡くなった下僕・藤吉、17日に亡くなった陸援隊々長・中岡慎太郎。彼らが鎮まる霊山の墓前にて、午後3時半より龍馬祭を斎行しております。
坂本龍馬 齢33歳、中岡慎太郎 齢30歳、藤吉 齢25歳、新しい時代の礎を築き、その大成を見ることなく、志半ばにしてこの世を去った彼らの遺徳を偲び、関係諸団体並びに崇敬者のご参列を多数頂いております。
また、境内では、中岡慎太郎の郷里、高知県安芸郡北川村より軍鶏肉の寄進を受け、両援会、京都高知県人会により、参拝者へ軍鶏鍋が振舞われております。
この軍鶏鍋は坂本龍馬、中岡慎太郎両志士が下僕・峰吉に軍鶏肉を買いに行かせている間に遭難し、郷里の味である軍鶏鍋を口にすることなく、亡くなっている所以から、一番汁を墓前へお進めし、ご参拝の皆様にも味わって頂こうと始めたものであります。
どうぞ、ここ霊山の坂本龍馬、中岡慎太郎、藤吉の墓前で心の語らいを交わしにご参詣ください。
慶応3年(1867年)11月15日近代日本改革の先覚者坂本龍馬は同郷の盟友中岡慎太郎と共に京都近江屋にて凶刃に倒れました。この歴史的な縁日に両雄の遺徳を偲び、全国のファンに”龍馬祭”の名で親しまれている墓前祭を京都霊山護國神社にて、京都高知県人会は両援会(海援隊と陸援隊にちなむ両雄を顕彰する有志の会)と共に斎行しております。
明治39年(1906年)に明治維新史蹟「旧霊山官修墳墓」(現在地)での京都在住の高知県出身有志による両雄をはじめとする志士の式年祭(40年祭)が墓前祭の始まりで、その10年後の大正5年11月15日からは、毎年両援会と京都高知県人会(その前身の黒潮会から昭和22年11月15日結成)が主催して21世紀に至っております。
龍馬・慎太郎の遭難した寒い日の「シャモ(軍鶏)を食べたい」という最後の会話にちなみ、高知県北川村の(中岡慎太郎顕彰会)よりシャモの寄進を受け、当日境内で京都高知県人会有志が社務所の協力を得てシャモ鍋を作り、正午より墓前にお供えし、参列されたファンにふるまっています。
毎年11月15日には、全国各地より各世代にわたる壱千有余いやそれ以上多くのファンの方々が参拝に訪れ、 交流し、両雄の遺徳を偲び心にふれて視野を広げて、自分の、そして日本の明日を考えていただきたく思います。
今年も来年も再来年も、お待ち申し上げます。
当日はご参拝の方に、高知県北川村、両援会、京都高知県人会の御協賛により軍鶏鍋を振舞っております。
当日は混雑が予想されます。公共の交通機関でお越しください。
また15時30分から16時30分の間、墓前祭が執り行われるため、墓参が一時できなくなります。皆様からのご理解とご協力の程、よろしくお願いいたします。
主催 | 両援会・京都高知県人会 |
---|---|
日時 | 11月15日 15時30分より斎行 |
場所 | 京都霊山護國神社 坂本龍馬・中岡慎太郎 墓前 |