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元中支派遣嵐兵団 野砲兵第122連隊
今年2005年(平成17年)は敗戦から60年の 節目の年にあたる。数年前に、父の戦地での 日記(ノート)が出てきた。コピーして手元に置い ていた。いつかまとめて冊子にでもして子や孫へ の戦争体験を語り継ぐことが出来たらと漠然と考 えていた。戦後60年このときを逃しては出来な いと思いまとめることにした次第である。 激しい戦場で戦いの合間に綴った11ヶ月間の 記録であった。よくもまあ、押収されずに持ち帰っ たものだと感心する。 日記を読んでみて激しい戦闘の様子、九死に一生 の場面などを読むと「よく生きて帰ってこられた もの…」と今ある自分の命の尊さを改めて実感す る。もし不運にも名誉の戦死をしていれば、現在 の自分がこの世に存在しないことを考えさせられ るのである。 この冊子をまとめる作業の中で、若き青春時代を軍国日本の、天皇の赤子としてひたすら祖国日本の繁栄を信じて自らの人生を戦争に費やしなければならなかった父。戦地に赴く夫の無事を祈るしかなかった母や、家族それぞれの心情に思いを寄せると、戦争という国家の起こした誤りに憤りを感ぜずにはおれない。そして、二度と再び愚かな戦争を繰り返してはならないと思う。 戦後60年の今もなお生き残ったものの終生のつとめとして、亡き戦友への思いを抱き安らかならんことを祈り続けている。

長男 塩貝 建夫(「発刊の言葉」より抜粋)

戦場日記 〜総攻撃開始〜
7月15日 土曜 晴れ夜曇り 於馬高地
05:30起床。射撃準備は全く終わり視界の明瞭になるのを待つ。 06:30射撃開始の時間なれど若干伸び、 06:45射撃を開始し約1時間30分間の攻撃準備射撃を行い08:00より34、55の高地に対し実撃支援射撃を実施す。 敵の戦意見るべきものあり。33高地は奪取し得るも其の他は落ちず支援すること数度、射撃すること度々、 遂に奪取ならずして夜に入る。銃砲弾激し。友軍機の爆撃も二度見る。猶夜半蛭川少尉以下6名は左第一線へ連絡掛として出ず。
7月16日 日曜 晴れ後雨 於馬高地
夜明と共に06:30、34に対して再び射撃開始支援すること数度、午前遂に34を右第一線は奪取せり。7Aの活躍大なり。其の後34高地には絶えず逆襲あり。手榴弾戦を午後06:00頃迄見る。18:00以降飛行機の協力を得ち55、56に対して攻撃の予定。19:00友軍機の緊密なる協同のもとに55に対し砲撃を開始す。歩兵は勢い55高地に突入せり。時恰も一天俄に曇り強風は雨を呼び友軍の追風となり戦況著しく有利なり。瞬時にして55高地を奪取せり。砲は曇のため視界見えず射撃を中止す。間もなく旗杵高地に陣地変換の命令を受取し指揮機関を従え先行す。時にマラリヤの徴候にて悪寒を催し居れり。無理をして進む。暗夜を手さぐりにて陣地に至りR長、副官より所要の指示を戴き偵察をなす。暗くて思うように出来ず概略7、9Aに陣地を示し進入を待つも計どらず、此の様子なれば明朝になる予定。



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