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かかる由緒の許に創立された当社は申すも畏きながら皇室の御崇敬敦く、明治十年、同三十六年、同四十年、大正十四年、昭和四年、昭和十九年、昭和三十五年、昭和三十七年、昭和四十年、昭和四十八年、昭和五十年の十一次に亘り御下賜金、御使御差遣の光栄に浴した。又明治十年社頭に銅碑建設の際は勅命に依り有栖川宮幟仁親王御揮傲毫の題篆をご下賜遊ばされ、昭和四年には前年挙げさせ給へる御大礼の大甞宮付属御建物を御下賜遊ばされ、以って斉殿及び拝殿を建立した。 かくも優渥なる御沙汰 を拝し、社頭の荘厳は年と共にその輝きを増したが、昭和十一年に至り嘉永六年以降の本府出身の英霊を悉く当社に合祀し、奉仕の赤誠を竭さんとするの議勃然として興り、京都府知事他の発起の許に霊山官祭招魂社造営奉賛会が組織せられ、新たに社殿の造営、境内の拡張が計画せられた。 時恰も支那事変の直前に当り民心緊張の折柄、府民は挙げてこの挙に賛同し、醵財の申込相次ぎ、十一月には早くも着工の運びとなった。工事は社域の拡張千五百余坪、新築社殿は本殿、祝詞舎、拝殿、神饌所等十二棟に及ぶ大規模なる計画並に参道の拡張に外数府民が協力せられ、工事は順調に進捗し、約三十ヶ月の月日をついやして、三間社流造の本殿、五間三面入母屋造の拝殿を始め壮麗なる社殿が完成した。 この時に当り政府に於ては広く全国の招魂社の制を改め、郷土出身の英霊を奉祀するために、各道府 県に護国神社を指定することとなり、昭和十四年四月一日を以って、当社は内務大臣指定(告示一四二号)により『京都霊山護国神社』と改称せられたのである。 このことは支那事変を景気とし地方人士の間にその要望が頓に昂まったのに基くのであるが、本府は全国に魁けて合祀造営のことを発願せるを以って、四月三十日の吉日を期して木の香、清々しき社殿に於いて英霊合祀の祭典を盛大に挙行した。
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